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Ep.0

オリノナカノセカイ

2025.09.16

Ep.0

オリノナカノセカイ

夢は、おりだ。

おれは毎夜、その鉄格子てつごうしに閉じ込められ、逃げ場のない同じ悪夢を繰り返し見ていた。

だいだいの光が続く夜の山道。
せまってくる黒い異形いぎょう
血に染まり、くずれ落ちる家族と友。

おれがすぐ動かなかったから。
おれが無茶をしたから。

後悔こうかいの言葉を何度口にしても、悲しみに沈んでも、過去は戻らない。

八日前のあの日の再現。
おれはその底なしの闇を、何度も何度もさまよった。

――けれど、今夜は違った。

いつものおりに現れたのは、街で見かけた、鳥にも似た黒い生き物だった。
音もなく浮かび、目は赤黒く染まっている。
ネットでいくら探しても正体のつかめなかった、あの得体の知れない存在。

そして、どこからともなく、しずんだ緑の目をした男が現れた。
視線は冷え切っていて、こちらを射抜きながら一歩ずつ近づいてくる。
ぴったりしたシャツに、脚にはポーチを着けている。
特殊な訓練を受けたであろう軍人を連想させた。

いつもの夢には決していなかった二つの異物。
その侵入によって、おれの悪夢は“本物の悪夢”へと姿を変えた。

痛みが全身をけ抜ける。
鈍さと鋭さが入り交じり、現実の感覚をそのまま押しつけられたような苦痛。
腕。背中。脇腹わきばら鳩尾みぞおち
食らうたび、頭がれ、視界が白くはじけ飛ぶ。

夢の中なのに、意識が遠のいていくような気さえする。
世界がぐるぐる回り、自分がどこにいるのかもわからなくなる。

状況を理解する余裕よゆうも、息を整える間もない。
ただ必死に、檻の中を駆け回った。

ようやく夢から覚めたとき、おれは自分の部屋の真ん中に突っ立っていた。

げられた――

張り詰めていた神経がゆるみ、息を一気に吐いた。

やっぱり夢だった。
夢でよかった……本当に。

そう心の中でつぶやいて、窓の外に目をやる。
遠くの山のふもとを、きりが静かにはいい上がっていく。
その上に丸い月が浮かんでいる。
だが、今夜の月は、どこか色を失ったように、灰をかぶった円盤えんばんのように見えた。
もうしばらくすれば、夜も明けそうだ。

夢の中で痛めつけられた脇腹わきばらに手を当てた。

痛みは、ない。
けれど、すぐ別の異変に気づき、おれはまゆをひそめた。

服や肌に触れているはずなのに、指に確かな質感が伝わってこない。

いや、触れていることはわかる。
わかるのに、指先から伝わるものがやけに鈍い。
麻酔ますいが効きはじめたときの、あのじわじわした曖昧あいまいさに近い。
薄いまくを一枚はさみ、その上からでているかのようだ。

手元を見下ろして、おれは目を見開いた。

手が――けている。
透けた先には、床板の木目までくっきりと見えていた。

頭が追い付かない。
鼓動こどうが耳の奥でやかましく反響し、呼吸のリズムを乱していく。

恐る恐る、視線を腕へ。
そこから胴へと、なぞるように落としていく。

手だけじゃない。
腕も、肩も、胸も、足も――全身が透けている。
冷えた夜気やきも肌に触れているはずなのに、その存在ごとうばわれたように何も伝わってこない。

まだ夢を見ているのか?

おれはほおをつねった。
痛みは……ある。
だが鈍い。

落ち着け。
深呼吸だ。
ひとつずつ確認しろ、今起きていることを。

振り返って、寝ていたはずのベッドを見る。
その瞬間しゅんかん、おれはこおりついた。

そこには――おれの身体が、まだ眠っていた。
そして、抜けがらのはずの身体が、ゆっくりとまぶたを持ち上げた――

夢のおりは、壊された。

夢も現実も、おれの知っている世界からはずれはじめる。

すべてがくるい始めたのは、八日前――“昏渡くれわたり”の日からだ。

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