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Ep.2

ヒキツガレルセカイ

2025.08.31

Ep.1

カゲリユクセカイ

2025.08.10

Ep.1

カゲリユクセカイ

夢は、おりだ。

サニは毎晩、同じ悪夢あくむをさまよっていた。

夜の山道。
逃げまどう人々。
人の形をした、黒い影。

そして――
サニを守ろうとして、血に染まる家族と友人。

だが、今夜は違った。

夢の檻が、壊された。

目を覚ましたサニのベッドに、自分と瓜二うりふたつの“誰か”が眠っていた。

夢の中に現れた、見知らぬ男。
その出会いをさかいに、夢も現実も、サニの手を離れていった。

すべてがくるい始めたのは八日前。
昏渡くれわたり”からだった。

***

頭から足首まで白一色。
ゆったりとした儀式用のローブに身を包み、サニは腰で細いひもを結んだ。
こんな格好をする機会なんて、今どきめったにない。

「このローブ着てると、気温ちょうどいいな」

生地きじを軽くなでながらつぶやくと、となりのスノアが襟元えりもとをぱたぱたあおいだ。

「俺はちょっと暑いくらいだ」

前を見ると、レイルは背伸びして人垣ひとがきの向こうをのぞこうとひょこひょこと動き、クラウトは無表情で空を見上げている。

夕方なのに空はわたった青。
夏だというのに、ほんの少し肌寒かった。

ここ、エズミアの市街広場では、まもなく“昏渡くれわたり”の儀式が始まる。

広場の中央には、山のように積まれたまき
それを正面に、左右二つの大きな集団――白いローブをまとった何百人もの子どもたちが並んでいる。
サニたちは右側の列にいた。

白ローブの集団をぐるりと囲むロープの外側には、地元の人や観光客が大勢いる。
みんな今か今かと儀式の開始を待っている。

半袖はんそでで腕をさすっている観光客の姿もちらほらあった。
エズミアの夏を知らずに来たのだろう。
思ったより冷える空気に驚いているに違いない。

サニは、ローブの紐をきつく結び直した。

昏渡くれわたり――それはエズミアに古くから伝わる成人の儀式。
年に一度、十五歳をむかえた子どもたちが、大人として認められるための通過儀礼だ。

今年、サニも十五歳になった。
同い年の友人、スノア、レイル、クラウトと共に参加する。
そのため、今こうして、白い儀式用ローブに身を包み、市街広場に立っている。

儀式は、広場中央に積まれたまきに火がともされる開会式から始まる。
炎をキャンドルに移し、それをランタンに入れて街中や山道を歩く。
行進が終わると、山上で行われる誓いの儀式が待っている。

この日、若者たちは街の前でお披露目ひろめされる。
エズミアの人々にとって、それは次の世代を見届ける大切な節目ふしめだ。
通りをいろど装飾そうしょくも、新成人へ向けられる声援せいえんも、その思いの深さを物語っていた。

ざわめく広場に、澄んだすずの音が高くひびいた。

群衆ぐんしゅうの声がぴたりと止む。
静寂せいじゃくが波のように広がり、人々の視線が一斉に広場奥の建物へ向かう。

白地に金の刺繍ししゅうをあしらった祭服さいふくをまとった一団が姿を現した。
――昏渡くれわたりの開会式が、いよいよ始まる。

観衆かんしゅうの視線が集まり、カメラやスマホが次々とかかげられる。
最前列の報道陣が、盛大なフラッシュを浴びせていた。

「よく見えねーな」

レイルが列から体を乗り出し、サニの目の前で顔を左右に振る。
そのたびに視界がさえぎられる。
サニは苛立いらだち混じりにレイルの頭を両手でわしづかんだ。

「あんま動くなよ。邪魔だっての」
「見えねーんだから、しょうがねーだろ」

レイルの頭が揺れるたび、サニも視線をずらす羽目になる。
そこへ、スノアが二人のかた小突こづいた。

「おまえら、毎年見てんだから、今年くらいおとなしく立ってろ。ずかしいだろが」

その言葉にクラウトが無言でうなずく。

レイルは不満ふまんげに口をへの字に曲げ、スノアをじろりとにらんだ。
それでも、渋々しぶしぶ動きを止める。

ようやく、サニの視界が開けた。

正面――まきを高く積み上げただんの前に、祭服さいふくの一団が並ぶ。

その中のひとりが火打石ひうちいしを高くかかげ、宙でカチリと打ち鳴らした。
小さな火花が、斜めに差し込む陽の光の中で散る。

そこへ、草束くさたばを抱えた男が歩み寄る。
火打石が何度か打ちつけられ、草束の先にぱちぱちと小さな炎が灯った。

げた香草こうそうかおりがただよう。
ほのかな苦みが鼻をけ、夕方の空気に溶けていく。

サニは袖口そでぐちで鼻をおおった。
この匂いだけは、どうにも好きになれない。
頭の奥がじんわりとくらむ。

やがて、一団の中心にいた代表者らしき男が前へ出る。
火のついた草束を受け取り、だんの上で深く頭を下げ――その炎をまきの中心へ投じた。

ごう、と音を立てて火が走った。
炎はまたたく間にけ上がり、青空の下へ白いけむりすじを引く。
熱気がほおをなでた。

広場に歓声がく。
拍手はくしゅと口笛が重なり、街全体がこの瞬間をいわっているかのようだ。

サニの胸も高鳴った。
形式だけの通過儀礼だとわかっていても、歓声に包まれているうちに、不思議と大人の一員になったようなほこらしさが込み上げてくる。

祭服の者たちがキャンドルへ火を移し、それをランタンへ入れていく。
光がひとつ、またひとつとつらなり、新成人たちの手へ渡っていった。

再び、澄んだ鈴の音が鳴り響く。

それを合図に、一団が列を組み、広場の中央を割るように歩き出した。
火を灯したランタンを手に、新成人たちもそのあとに続く。

「こっから“黒紫塔モノリス”まで、二時間以上も歩くのか……」

スノアが肩を落とし、ため息まじりにぼやく。

「誰が一番に山のふもとに着くか競争でもするか?」

レイルが両手をぶんぶん振り、冗談じょうだん半分にけ出す真似まねをしてみせた。

祭服さいふくと白ローブの列が向かう先には、広場からまっすぐびる大通り。
その先に、ゆるやかな山並やまなみが青空を切り取っている。

さらに奥――
空を突き抜けるようにそびえる、巨大な四角柱の構造物。

黒紫塔モノリス”。

街全体を見下ろすように、静かに立っていた。
光を吸い込み、夜そのものを閉じ込めたかのような、謎めいた遺物いぶつ

サニにとって、それは儀式の終着点以上の存在だった。
幼いころ、母に手を引かれて見上げた日の空気が、今も鮮明せんめいによみがえる。
あの時から――あの塔は、ずっと特別なままだ。

火の灯ったランタンが、ひとつ、またひとつと、列に沿って手渡されていく。
温かな光が、夕方の大通りをゆっくりと流れる。

***

ランタンの火が、石畳いしだたみの上でゆらゆらとれる。
日差しの中でも、その炎はあざやかで、どこか現実離れして見える。
子どものころ、家族と見物したときも同じように感じたことを思い出す。

キャンドルから漂う、ほのかな甘いろうの香り。
鼻先にふわりと届き、思わず深く息を吸い込んだ。
この匂いは、昔からわりと好きだ。

先頭からは、一定の間隔でんだ鈴の音がひびく。
人々のざわめきの中でも、その音はくっきりと耳に届いた。

通りの両脇りょうわきには、びっしりと人が並んでいる。
手を振る地元の人々、スマホをかまえてシャッターを切る観光客。

道沿いのカフェやレストランは、今日のために色鮮やかに飾られていた。
テラス席では、った大人たちが笑い声を上げ、こちらにはほとんど注意を払わない。

街全体が、祭りの空気に包まれていた。

「昔の人って、こういうの好きだよな」

サニは手にしたランタンを、目の前で軽くらした。
となりを歩くスノアが、顔だけこちらに向ける。

「何の話だ?」
「こういう儀式だよ。意味があるんだかないんだか、よくわからないのに、続けるやつ」

クラウトも視線を向けてきたが、表情は変わらない。
その横から、レイルが顔をき出す。

「最初にやり出したやつって、なんか面白そうって思ったくらいのノリだったんじゃね?」

サニは火を見つめながら、ふっと口元をゆるめた。

「ノリねー。ま、ありそうだな」

レイルのくちびるに、笑みが浮かぶ。

「だろ? 伝統でんとうって言えば聞こえはいいけど、結局はさわ口実こうじつに始めただけとかさ」
「それがいつの間にか『由緒ゆいしょある行事ぎょうじ』になって、誰もやめられなくなる、みたいな?」
「そ。で、その誰かの思いつきに、今も俺たちは付き合わされてるってわけ」

レイルが肩をすくめ、手をぶらぶらと振って見せる。

「……でもさ」

クラウトが前を向いたまま口を開く。

「みんなが楽しそうなら、それでいいんじゃないか?」

それを聞いたレイルが凛々りりしい顔を作り、胸を張った。

「おい、俺はあんま楽しくもないぞ。こんな長々歩かされるくらいなら、この前買ったゲームの続きをしてるほうが楽しい」

サニは白い目をレイルに向けた。

「毎年見に来てて、さっきの開会式でもやけに前のめりだったくせに?」
「見るのとやるのは別だろ」
「なんでも楽しむほうが得だぞ」
「はいはい」

レイルは視線をらし、おどけた表情をすると、足元の石畳いしだたみを軽くった。

「……昔さ、じいさんから昏渡くれわたりの変な言い伝えを聞いたことがあって」

しばらくだまっていたスノアが、口を開いた。
サニは首をかしげる。

「変わった言い伝え?」
「どんな話だよ?」

レイルが大きくあくびをする。

スノアはこめかみを指で押さえながら続けた。

「じいさんく、昏渡くれわたりってのは、もともと“特別なたましい”を別の世界へ送り出す儀式だったらしい」

やけに真面目な顔で何を話すかと思ったら、予想外の話だった。
サニは思わず笑いかけた。

「そんな話あるわけないだろ。ま、それが本当なら面白そうだけどな」
「……からかわれたんじゃないのか?」

クラウトが目を細める。

「いや、そういう感じじゃなかった。冗談じょうだんなんてめったに言わないし、根拠こんきょのない話を信じる人でもなかった。その時も、本気の顔だった」

スノアの顔も真剣だ。
サニはなんとも言えない気持ちでクラウトと視線を交わす。

「じいさんの話だと、この世界とそっくりな“もうひとつの世界”があるらしい。
そこには、この世界にわざわいをもたらす存在がいる。
で、大昔――そいつらを遠ざけられる魂を送り出すために儀式を行っていた。それが形だけ残って、今の昏渡くれわたりになった、って」

レイルが口元を押さえ、吹き出すのをこらえている。
サニもつられて笑いかけた。

しかし、視線の先に黒紫塔モノリスが入った瞬間しゅんかん、その笑いはのどの奥で消えた。

スノアの話は、荒唐無稽こうとうむけいに聞こえる。
けれど、その奥には――この世界には説明のつかない何かがある、と信じるるぎない思いがあった。
証明しょうめいもできず、笑われるかもしれないものにさえ、スノアは意味を見いだしている。

その信じ方が、サニにはどこか自分と重なって見えた。
そして、不意ふいき母の姿を思い出させた。

母もまた、生涯しょうがいをかけて黒紫塔モノリスなぞを追い続けた人だった。
必ず意味があると信じ、調べることをやめなかった。

今、その意志いしいでいるのはサニだ。
母が見つけられなかった答えを、自分の手で見つけ出す――それが、サニの目的になっている。

だから、レイルや他の人がスノアの話を笑うのは仕方がなくても、自分まで笑うわけにはいかなかった。
スノアは、自分と同じ側の人間だ。
証明のないものにも意味を見いだし、信じ続けられる人間。

スノアを笑うことは、母や自分が大切にしてきたものを否定するのと同じように感じた。

サニはそっと拳を握った。

スノアは視線を前に向けたまま、話を続けた。

「それと……塔の下に着いたら、何人か選ばれて首に油をられるだろ?
あれ、本当は“特別なたましい”を無事にもうひとつの世界へ送り出すためのまじないなんだってさ」

その瞬間しゅんかん、レイルがこらえきれずに吹き出した。

「そんな話、マジで信じてんのか? スノアって意外とそういう話に弱いよな」

茶化す声に、スノアのほおがわずかに引きつる。

「……別に信じてるとは言ってない。ただ、そういう話を聞いたってだけだ」
「いやいや、そこまで細かく覚えてる時点で、ちょっとは信じてんだろ。
もしスノアが山ん中の儀式で選ばれたら、俺が拍手はくしゅして異世界に送り出してやるから安心しろよ」

レイルはスノアの肩に手を置くと、満面の笑みでもう片方の手の親指を立てた。

スノアは何かを言い返しかけ、やめた。
短く息をつき、視線をらす。
いつものように、反論するだけ無駄だと判断したのだろう。

サニは無言で、スノアの横顔をちらりと見た。
そして、視線を遠くへ向ける。
空にさるようにそびえる黒紫塔モノリス

スノアの聞いた言い伝えは、塔とも何か関係があるのかもしれない――
そんな考えが頭をよぎる。

もっと詳しく聞きたくて、胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
けれど今ここで掘り返せば、きっとレイルが茶化してくるだろう。

また今度、ゆっくり聞けばいい。
いつだって聞けるはずだ――

そう、あの時は思っていた。
けれど、その”今度”が、ひっそりと遠ざかっていることに、この時はまだ気づいていなかった。

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