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Ep.2

ヒキツガレルセカイ

2025.08.31

Ep.1

カゲリユクセカイ

2025.08.10

Ep.2

ヒキツガレルセカイ

緑に包まれた山道――
六歳のサニは、母に手を引かれて歩いていた。

しばらく歩くと、木立の切れ間から、黒紫塔モノリスが姿を現す。

黒紫塔は、ただそこにあるだけ。
目の前の初めて見る巨大な物体に、幼いサニは威圧いあつされ、息をんだ。

黒紫塔を調べる学者だった母は、夢中でペンを手帳の上に走らせる。
塔の表面を叩いて音を確かめる。
何かの機械を当て、画面をながめてはまた書き記す。

観光客が物珍ものめずらしそうに母のことを眺めていた。

一方、サニは、虫を追いかけたり、木に登ったりして、ひとり遊びはじめる。
母の仕事を見てみたいと、自分から無理についてきたにも関わらずだ。

時折ときおり、母の注意する声が飛んでくる。

やがて、遊ぶのにもきて、草むらに座りながら母をそばでじっとながめる。
眺めている間も、母は黙々もくもく黒紫塔モノリスを調べている。

「なんでお母さんはこのかべ、ずっと見てるの?」

おさないサニは、ただの黒い壁のようにしか見えない黒紫塔モノリスを指さす。
黒紫塔モノリスに向かって何時間も過ごす母が不思議でならなかった。

母はサニに向かってやわらかく微笑ほほえみ、口を開いた――

***

山のふもとに着く。
サニは係員にランタンをあずけた。

時刻は、すでに二十時過ぎ。
空は茜色あかねいろに染まっている。
緯度いどの高いエズミアでは、夕暮れがおとずれるのも遅い。

黒紫塔モノリスの影がどこか遠くへとびている。
黒紫塔は、初めて間近で見た頃と何も変わらない。

ふもとの登山口には、許可証きょかしょうを持つ地元民と祭事関係者さいじかんけいしゃが列を作っていた。
係員が一人ずつあかしを確認している。

ここからの昏渡くれわたりの儀式は、許可証を持つ者しか見ることができない。
許可証のことを知らず、登山口に入る気でいた観光客が係員に食いかっているのが見えた。

「もうすぐ夜になるってのに、今から山登るとかどうかしてるわ」

ぼやきながら、レイルは両腕を伸ばして背中をらす。

これから山を登る前に一旦休憩きゅうけいはさまれる。
黒紫塔モノリスのある広場までは、歩いて二十分。
それから三十分、最後の儀式がり行われ、昏渡くれわたりは終わる。

最後の新成人がランタンを係員に返すと、休憩のアナウンスがひびいた。
周りにいた新成人たちは、一斉いっせいに散っていく。

新成人の家族がけ寄り、記念写真をり始める。
いわいの声をかけてもらい、照れくさそうにしている。

周囲を見回すと、母親にローブを直されている子が目に入った。
顔を真っ赤にして、ずかしそうに手を振り払おうとしている。

――もし、母さんが生きていたら……

一瞬いっしゅん、そんな想像が頭をよぎる。
だがすぐに首を横に振った。

考えても仕方のないことだ。
かびかけた思いを、強引にどこか遠くへと追いやった。

「じゃ、またあとでここ集合な」

スノアが顔の前で軽く片手を挙げた。
サニがひとつうなずくと、スノアたちは足早にそれぞれ家族のもとへ向かっていった。

***

あたりはごった返していた。
観光客に係員、出店の準備をしているスタッフまで、雑多ざった人波ひとなみうずいている。

父と姉と合流しようと人混みの中を進むが、肩や腕が何度もぶつかりそうになり、足取りは思うように進まない。
立ち止まればすぐに押し流されてしまいそうだ。

道のわきでは、いくつもの露店ろてんのきを並べている。
こうばしい焼き串の匂いに、甘い果実酒かじつしゅかおり。
色とりどりの布がひるがえり、街灯がいとうの明かりが淡くれていた。

耳に飛び込むのはふえ太鼓たいこ軽快けいかいなリズム。
広場の一角いっかくでは楽団が演奏えんそうひびかせる。
その向かいでは奇抜きばつ衣装いしょうのパフォーマーが宙返ちゅうがえりを決め、拍手はくしゅを浴びていた。

目を引いたのは、犬や鳥や馬の面をかぶった集団。
子どもたちが歓声かんせいを上げながら取り囲んでいる。
その後ろにはアニメキャラクターそっくりに着飾きかざった若者や、まるで軍の特殊部隊員とくしゅぶたいいんのような格好かっこうの男まで。

まるで街全体が演劇えんげき舞台ぶたいにでもなったようだ。

人混みの先、案内板あんないばんの下で父と姉がならんで立っていた。

先に気づいたのは姉のフィアだった。
ぱっと手を振り、にこやかに笑う。
首元では、母の形見かたみのペンダントが手を振るのに合わせて大きく揺れている。

少し遅れて顔を上げた父のアベルは、かたを落としてどこかくたびれた様子に見えた。
肩にはトートバックを下げている。

サニはけ寄った。

「父さん、疲れてない?なんかあったの?」

フィアがくすくす笑って、父を横目で見た。

「お父さんね、ふもとの広場で待ってようって言ったのに、サニが歩いてる姿を見てたい、って聞かなくて。ずっと後を追ってたのよ?気づかなかった?」

サニはひたいを押さえた。

思い出すのは三年前、サニが十二歳の時。
姉フィアが十五歳となり、昏渡くれわたりにのぞんだ日のことだ。

新成人が進む整然せいぜんとした通路とは違い、見物人の通路は人であふれ返っていた。
肩がれ合い、足を止めればすぐ後ろから押されるような雑踏ざっとうの中を進む。

父は最初こそり切って先頭を歩いていたが、一時間も経つと足取りは重くなった。
大通りから外れて先に待ち合わせ場所へ行こう、とサニが提案ていあんしても、父は首を横に振り、がんとしてゆずらない。
しまいには逆に、サニが父の手を引っ張って人波をかき分けながら、フィアを追いかける羽目はめになったのだった。

あれだけしんどい思いをしたのだから、今回は無理をしないと思っていた。
だが、予想は外れた。
が子のこととなれば、多少の無茶でもやってしまうのが我が父なのだ。

サニは鼻先で小さく息をらした。

「もう無理すんなよ。帰って休めって。明日も仕事だろ?」
「何を言う!」

父は急に背筋せすじを伸ばし、胸をぐっと張った。

「ここからが昏渡くれわたりの本番だろ!仕事にそなえるために息子の晴れ姿を見ずに帰る父親がどこにいる!
仕事は三番目に大切なことだ。だから、仕事よりもサニを最後まで見ることが優先だ」
「一番と二番は何なんだよ……」
「そりゃフィアが一番、サニが二番に決まってるだろ」

父の大きな手がフィアの頭をぽん、とでる。

「……俺、二番なのかよ。そこは家族が一番とでも言ってくれよ」
「娘のほうがかわいい。世の父親にとっての常識じょうしきだ」

サニはめ息をついた。

フィアはわずかに口角こうかくを上げつつも、肩をすくめるようにして父を見返している。
フィアは亡くなった母に似てきた気がする。

***

サニが八歳の時、母ルミナが亡くなった。
それ以来、父は過保護かほご気味になった。
母がいた時も家族は大切にする人ではあったが、少し頑張がんばりすぎに感じることが多くなった。

通学は一人で十分な年になっても、父は毎朝トラムの停留所ていりゅうじょまで付いてきた。
風邪かぜをひけば、寝室のドアをそっと開けてはハーブティーをれ直す。
気づけばとなり椅子いすでうたた寝をしていることもあった。
仕事で疲れていても、不慣れだった家事もこなしてくれた。

母の分まで、自分たちの成長に寄りおうと必死ひっしになっているようだった。

そんな父をありがたいと思う気持ちは大きかった。
だがそれと同じくらい、いつかこわれてしまうんじゃないかという不安もふくらんだ。

その背中せなかがどこかたよりなく、今にも折れてしまいそうに見える瞬間しゅんかんもあったからだ。
ひとりでいるとき、がらのようになっていることもあった。

フィアは自然に家事を手伝うようになり、サニもそれを真似まねた。
父の負担ふたんを少しでもらすために。

いつしか父が家事に追われることはなくなり、おだやかな顔を見せることが増えた。

***

フィアがサンドイッチを目の前にき出してきた。

「ほら、食べとかないと、最後の油塗あぶらぬりの式まで持たないよ」

気づけば父は、立ったまま両手にサンドイッチをにぎり、もう頬張ほおばっていた。
つかれを誤魔化ごまかすかのように、やけにいきおいよく。

その様子にあきれつつ、サニもハムとチーズのはさまったものを手に取る。

「サニは、最後の式で何をちかうんだ?」

もごもごと咀嚼そしゃくしながら、父が聞いてきた。

「やっぱり母さんと同じで、黒紫塔モノリスを調べるって誓うつもりか?」
「そうだよ」

サニはかぶりつく。
鼻先にケチャップとマスタードのつんとした匂い。
マスタードを厚くるのが、家流やりゅうだ。

父はじっとサニを見つめ、やがて視線を落とす。
何か言葉を探すとき、決まってそうするのが父のくせだ。

父の様子を見ていたフィアが、言いにくそうにサニの顔をのぞき込んだ。

「……サニ。無理して母さんと同じことをしなくてもいいんだよ?」

サニのまゆがぴくりと動く。

「やめろって言いたいのか?」
「そんなこと言ってないでしょ。ただ……あんたが母さんのやり残したことを、無理して引きごうとしてるんじゃないかって思って……」

サニはむっと顔をしかめた。

「無理に継ごうとなんてしてない。俺は自分のやりたいことをやろうとしてる。それに、何をやるかなんて俺の自由だろ」

き捨てるように続ける。

「それとも、姉ちゃんは俺に“もっと現実的なゆめ”を考えろ、って言いたいのか?」

フィアは言葉を探すように視線を泳がせた。

「そういうことじゃなくて、私が言いたいのは――」

フィアが言いかけたところで、父が片手を上げてせいした。
父は口の中のものを飲み込むと、すぐにもうひと口かぶりつく。

「サニ」
「何だよ?」

父は目を閉じ、サンドイッチをゆっくり咀嚼そしゃくした。

「サニが本気なのは、父さんもフィアもわかってる。もう十五だしな。将来のことも考えるとしだ」

父は飲みくだすと、まっすぐに視線をこちらへ向けた。

昏渡くれわたりで何をちかうかは自由だ。誓ったからって絶対にやらなきゃいけないものでもない。形だけのことだと言えば、それまでだ」
「なら、別に母さんと同じこと誓ったっていいだろ」

父がフィアをちらりと見る。
フィアは容器ようきにぎりしめ、だまって父を見返していた。

「フィアが心配してるのはな、サニが母さんの夢にしばられてるんじゃないかってことだ」
「縛られてなんかない!」

サニの声がやや強くね返る。
だが父の表情はれなかった。

「母さんと同じ道をえらぶのはいいことだ。きっと母さんも喜ぶ。
でも……もし本当にやりたいことが別にあるなら、それを選んでもいい。無理して母さんに合わせなくてもいいんだぞ?」
「だから無理してないって!」

サニはサンドイッチを乱暴らんぼうにかじり、無理やり飲み込む。
父はゆっくりと息をはいた。

黒紫塔モノリスを調べても、何に役立つかはまだ誰にもわからない。世間じゃただの観光物程度にしか思われてない。
だから、そういうものに入れ込むことを無駄だと笑うやつは必ずいる。役に立たないと決めつけて、好き勝手に口をはさんでくる。……世の中、そういうもんだ」
「じゃあ俺も、その“そういうもん”に合わせて、母さんと同じ夢を追うのはやめろって言うのか?
昏渡くれわたりって節目ふしめに、周りからめられる夢でも探せって?」

語気ごきあらくなる。

「違う」

父は鼻で笑い、口角こうかくを上げる。

「逆だ。周りが何を言おうと、簡単にゆめあきらめるな。フィアも父さんもそれが言いたいんだ」

サニはまばたきをした。

「サニ。夢ってのは、このサンドイッチみたいなもんだ」

父はマスタードがれそうなサンドイッチの断面だんめんを見せつけてきた。
また変なことを言い出した、とサニは白い目を向けた。

「中に何をはさむかは自分で決める。ハムでもチーズでも、好きな具を選べばいい。人それぞれ好きなサンドイッチが作れるんだ。誰かに決められるものじゃない」
「それ、中に何挟むか決めたのは、姉ちゃんだろ……」
「でも、どれを食べるか選んだのは、父さんだ」

父は残りのサンドイッチを口の中に放り込んだ。

「サニが母さんに縛られていないのは、よくわかった。
でも、周りはなんでも好き勝手に言う。本人がどれだけ努力して、本気でいても関係ない。それぞれの“常識じょうしき”って物差ものさしではかり、それを押し付けようとしてくる者もいる。
だから、夢をつらぬくには、ただ“やりたい”って思うだけじゃ、その“常識”に負けて、心が折れてしまうこともあるんだよ」
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

父は得意とくいげな顔をして、胸をった。

えらんだ自分を信じろ!」

真剣な目がサニを射抜いぬく。

「夢の価値を決めるのは周りじゃない。決めるのは――サニ、お前自身だ。
周りはな、『そのサンドイッチの具は抜け』『それはやめて人気のにしとけ』って、好き勝手に口を出してくる。自分で食べるわけでもないくせにな。
けど、誰かの言うとおりに変えてしまったら、それはもうサニの好きなサンドイッチじゃなくなる。食べたときに本当に“うまい”って思えるのは、自分で選んだものだけだ。夢も同じさ」

父の声はいつになく真剣で、まっすぐにひびいてきた。
サニはそのひとみを真正面から受け止める。

自分で選んだもの。

その言葉が胸の奥で反響はんきょうする。
気づくと、六歳の頃に初めて黒紫塔モノリスを見上げた記憶きおくがよみがえってきた。
母になぜ黒紫塔モノリスを調べてるのかたずねたときのことを思い出す。

***

あのとき母は、やわらかく微笑ほほえんで――

「楽しいからかな」

そう答えた。

けれど、おさない自分には、黒紫塔モノリスをじっとながめるのが楽しいとは、とても思えなかった。

「でも、これ見てるより、木に登ったりして遊んでるほうが楽しいよ?」

無邪気むじゃきに言い返した自分に、母は目を細めて笑った。

「それは、サニが楽しいことでしょ」

くすくすと笑いながら、母は草むらにちょこんと座る自分の目線に合わせて、ゆっくりとこしを下ろした。

「じゃあもし――」

母は少し首をかしげて、悪戯いたずらっぽく白い歯をのぞかせる。

「お母さんがサニに『黒紫塔モノリスを見てるほうが楽しいんだよ。だから木登りなんてやめて、こっちに来なさい』って言って、サニに同じことをやらせたら……サニは楽しいって思える?」

サニはぷるぷると首を横に振った。

「でしょ?」

母はにっこり笑って、サニの鼻先を指で軽くつついた。

「サニが木に登るのを楽しいって思うように、お母さんは黒紫塔モノリスをこうやって見てるのが楽しいの。
人から押しつけられたことじゃ、楽しいって感じられないんだよ。
楽しいと思えるのは、自分で選んだものなんだよ。それはお母さんもサニも同じ」
「ふーん……」

気のけた返事しか出てこなかった。
おさない自分にとって、“楽しい”は自分だけのもので、他の誰かの“楽しい”ということが想像もつかなかった。

そのことを母はさっしたのだろうか。
それ以上は何も言わず、ただ草むらに座るサニの頭をやさしくでてくれた。

***

黒紫塔モノリス研究けんきゅうして何になるかは、たしかにわからない。
近所の連中れんちゅうは熱心に黒紫塔モノリスを調べる母を変わり者と呼び、馬鹿ばかにする声もあった。
新興宗教しんこうしゅうきょうにでものめり込んでる、といううわさまで広がっていたらしい。

それでも母はまよわなかった。
周りの言葉に振り回されず、自分の決めた道を歩き、いつも笑っていた。

「どんな言葉を投げられても気にするな。笑われたら、笑顔を返せ。
自分が選んだものを信じられるなら、どんな常識じょうしきねのけられるさ。母さんはそうやって生きてた」

父の手がサニのをばしっとたたく。
思わず体がれる。

「母さんと同じ道を歩くってんなら、その生き方もげ。そして、その生き方を選んだ自分を信じろ」

サニは父の目を見て、大きく、力強くうなずいた。

「父さん……姉ちゃんも、ありがとう」

フィアは胸をでおろし、父は満足げに決め顔をかべた。

――が、すぐに父の表情が固まると、「あっ」と声をらした。

背中を叩いた手には、マスタードがべったり。
サニの背中には、黄色い手形がくっきりと残っていた。

フィアがあわててハンカチを取り出し、サニの背をく。
父は「い、いや、これは……」としどろもどろになり、せっかくの決め顔も台無だいなしになった。

ごしごしと背中を拭かれる感触かんしょくに、サニは思わず笑みをこぼした。
胸の奥に、父の言葉が静かに根を下ろしていくのをたしかに感じた。

そのとき、ふとサニの目のはしで、黒いかたまりがふわりとれた。

建物のかげに何かがかんでいる。
目をらすと、それは全身を長く黒い毛におおわれた、見たこともない生き物だった。

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